リサーチ手法は多岐にわたりますが、リソース不足を理由に、手軽かつ迅速に実施できるインタビューに頼ることもあるかもしれません。しかし、それで十分な情報を得られているでしょうか。
本特集では、時間も手間も要する「フィールドリサーチ」に焦点を当て、その意義と重要性をMoonでの実例と共に掘り下げます。
前章「リサーチの目的・手法・重要性とは?」では、リサーチの基本を振り返りながら、フィールドリサーチの重要性を解説しました。本章では、Moonでインキュベーションを行ったベンチャー「Marimari」を例に、具体的なリサーチ手法とその結果を紹介します。
目次
「Marimari」は、ジャカルタのゴミ問題解決に取り組む、三井物産インドネシア発のプロジェクトです。
インドネシアでは、人口増加や急速な都市化にともなって、ゴミの発生量が急増しています。しかし、適切な分別・収集システム、焼却施設、埋立設備などの管理インフラは不足しており、環境汚染や公衆衛生の悪化が懸念されています。
また、公共のゴミ収集サービスは存在せず、多くの住民は自ら選んだ民間の収集会社と契約を結び、月額料金を支払っています。スケジュール通りに収集されないこともあるため、住民は収集業者に対して不満を持っています。
こうした状況に対し三井物産インドネシアは、清潔なインドネシアの実現とESG(環境、社会、ガバナンス)ビジネスへの取り組みの一環として、ゴミの分別・収集・環境汚染といった複合的課題に挑戦しています。
マレー語のプロジェクト名“Marimari”は、英語の“Let’s do it!”を意味します。アイデアは、三井物産インドネシアのAris Munandar(アリス・ムナンダル)さんが、Moonのアイディエーションプログラムで具体化したもの。その後Moonのインキュベーションプログラムに採択され、本格的な事業開発に向けてリサーチを開始しました。
インドネシアで生まれ育った彼の掲げるビジョンは「Make cleaner Indonesia a personal mission for everyone(“清潔なインドネシア”をすべての人の使命に)」。このビジョンを実現するため、Moonと共に新たなサービスを探索します。
Moonでは、プロダクトの成功確率を高めるために、課題とユーザーの定義を重視しています。「誰に向けて」「何のために」プロダクトを作るのかを明確にすることで、エビデンスに基づいた意思決定が可能になり、ユーザーニーズに即したサービスの提供が実現できるからです。
Marimariも例外ではなく、課題、ユーザー、ステークホルダーを深く理解するためにフィールドリサーチを実施しました。目的は2つありました。
①ジャカルタ住民のゴミに関わる行動・価値観・ペインポイントの理解
②ゴミ収集業者の事業・工程・ペインポイントの理解
①が必要な理由は異文化を理解するためでした。インドネシアは気候、社会、経済、人口、宗教など、さまざまな点で日本と異なります。現地に赴くことで、独自の文化や習慣を直接体験し、深い理解を得ることが可能になります。
②は、未知の業界を理解するために必要でした。廃棄物処理業界がチームにとって馴染みのない分野ということもありましたが、インドネシア全体だけでなく、事業単位での仕組みや作業プロセス、その中で直面する具体的な課題を把握するためには、現地調査が不可欠でした。
目的が定まったあとは、実際にリサーチをどのように行い目的を達成するか、そのプランを作成します。Marimariでは、目的に合わせた2つのリサーチプランを策定しました。
①ジャカルタ住民のゴミにまつわる行動調査
②ゴミ収集業者に関する業界調査
大まかなリサーチプランが決まった後は、実行するための細かな手順を作成しました。
この時点で準備は完了、実践に移りました。
実際に2週間の現地調査を行って収集した調査記録の一部をご紹介します。
市街地の調査を開始
ジャカルタに到着後、すぐ目に入ったのは、ショッピングモールやオフィスビル内に設置された、分別用のゴミ箱でした。すでに分別できるようにはなっていましたが、利用者の観察を続けると、ゴミをどの投入口に捨てるべきかわからずに戸惑っていたようでした。
表示がわかりにくいからか?分別に慣れていないからか?原因はこの時点では分かりませんでしたが、状況を分析し、いくつかの仮説を立てることはできました。
課題が見えた一方で、正しい場所へゴミを捨てようという住民の意思がはっきりと見えたことは収穫でした。
次に実施したのは、ジャカルタで生活する人々への訪問調査です。
住宅の訪問調査へ
チームは、マンションや戸建て住宅を訪問し、ゴミの管理体制や家庭内の様子を調査しました。そこでは、中流家庭でも一般的に雇われているメイドさんの役割、自宅内に生ゴミを放置すると寄ってくる羽アリやハエの心配、外にゴミ袋を置いておくと野良ネコが荒らしてしまうなど、インドネシアの経済や気候ならではの事実を知ることができました。
さらに、住民がゴミ収集業者に対して抱いている不信感の正体も見えてきました。不規則な収集や遅延、一目では業者かどうか分からない身だしなみ、トラックからゴミが溢れ散乱する問題などが、住民と収集業者の間に溝を生み出していました。
また、住民は収集業者からゴミの分別を義務付けられておらず、不信感も強かったことから「収集業者がゴミを自ら分別しているはずがない。すべて埋立地に捨てているに違いない」と偏見を持っていたこともわかりました。
実際はゴミを分別している収集業者は存在していましたが、日常的なオペレーションから生まれる信頼関係の欠如が、業者への疑念につながっていたことがわかってきました。
この結果をもとに、チームは住民の意欲と分別の精度を測るための行動実験へと移りました。
住民参加型の行動実験へ:分別システム導入の可能性を探る
住民に「なぜ分別しないのか?」と尋ねると、多くの人が「We’re too spoiled!(私たちは甘やかされすぎた!)」と答えました。しかし、それは本当に意欲がないためなのか、あるいは知識やシステムの不足が原因なのか、はっきりとはわかりませんでした。
私たちはこれらの疑問を検証し、適切な仕組みが整えることで分別が実行可能になるのかどうかを確かめるために、230軒の民家を対象にして、分別意欲と精度を測る行動実験を実施しました。
実験内容
結果
実験はゴミ袋を配布するだけのシンプルなものでしたが、住民の意欲は高く、適切なシステムさえ整備されれば、分別は十分に実現可能でした。
さらに、2週間を通じて参加率が右肩上がりで推移したことから、分別方法に関する情報提供や、継続的な啓蒙活動の重要性も示されました。
最後に、ゴミの収集業者、集積場に関する調査結果を紹介します。
収集業者を訪問(ゴミ集積場・埋立地):リサイクル活動の認知不足を確認する
事前調査では、収集から分別、リサイクルまでを一貫して行う事業者は、全体の7.5%に過ぎないことがわかっていました。その数少ない事業者の作業現場の実態を調査するために、今回の訪問を計画しました。
そこでは、リサイクル用の機器を使ってプラスチックを14種類に分別し、細かいペレット状の小さな固形物に圧縮する事業者の作業工程を見学することができました。しかし、こうしたリサイクル業者の活動は住民にはほとんど知られていません。
埋立地にゴミを廃棄するだけの事業者との違いは認識されておらず、せっかくの努力が住民に伝わっていない現状が明らかになりました。
以上が、私たちが実際に「Marimari」プロジェクトで行ったリサーチの概要となります。このフィールドリサーチによって、異なる文化背景を持つインドネシアのゴミ収集業界を深く知ることができました。ここで紹介したリサーチの目的や手段の設計、実施、発見までの一連の流れの実例が、みなさまの参考になれば幸いです。
これらのリサーチ結果が新規事業の創出における意思決定にどのような影響を与えたのか。それはまた次の章でご紹介したいと思います。
文・相山由衣(あいやま・ゆい)
Moon Creative LabのCraft Lead。スタンフォード大学d.schoolでデザインリサーチ、慶應義塾大学でサービスデザインを学んだ。Moonでは、各プロジェクトのデザインリサーチだけでなく、デザインリサーチのラーニングプログラム作成なども担当。
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3人1組で事業創出に挑戦。宇宙人材の育成に取り組んだ「Eureca」チームの学びをシェア。